子育てしながら好きな場所で生活する!
目標
ヨーロッパを登山とパラグライダーだけで横断する。
※世界最高峰レース Red Bull X-ALPSルートのトレース
PWCAで優勝する
※パラグライダーの世界大会
と一つ目は難しくはないのですが、二つ目がかなりキツイ!
好きなことをして生活するをしたいができない人の後押しになればよいなと情報発信をします。
自己紹介
生まれも育ちも北海道で自然豊かな場所で”のびのび”育ちました。
学校では恥ずかしがりやで言葉の裏が理解できず。全て言葉の通り理解して人間関係は非常に苦労しました。
大学を卒業し就職で関東へ来たが、目的が定まって計画的に4社を転職
パラグライダーで世界中を旅するために退職して、2022年に起業
- パラグライダーでのタンデムフライト(二人飛び)
- 機械設計者
- 動画編集、webライター、コンサルなど ※挑戦中
世界中を飛び回るために挑戦中だが、やりすぎてしまい、疲労困憊で体調を崩すのでどうすればよいか悩み中
大学時代
実家から離れて一人暮らし
サークルでパラグライダーに出会い生活は一変
土日は飛びに行くか、どこかへドライブ
平日は土日のための休息みたいな状況でろくに勉強もせず
2年留年してなんとか卒業して、とりあえず就活してたら内定がでたのでそこへ行くと考えなしでした。
それが社会人になって苦労の種になりましたが・・・
このころはいろいろありすぎたので別途書きます。
一番人生に影響を与えたのは間違いないので20歳前後の経験が今後に強く影響するではと思ってます。
社会人時代
機械部品メーカーに就職したが、就活を適当に行っていたつけがここにきました。
入社しての社員教育はグループ全体が集まってなのですが、
- 私語をやめない
- 漢字が読めない
- ノートにメモする概念がない
など当たりまえのことができない人が半分以上の空間でカルチャーショックを受けました。
出来ないなりに努力するや、やってみるならわかるのですが、教員の指導に対して、愚痴や裏で文句を言っており、直す気がないことには愕然としました。
さて社外教育も終わり実際の業務になると、設計部署でしたが仕事がないのか、文献を読んでいるだけ
CAD(製図ソフト)の練習をして図面作成が始まったと思いきや、ライセンスが足りないので練習もできない
社宅から会社までの通勤バスの中、社員の顔は死んだ魚の目をしており恐怖でした
ここにいては同じ未来になることは間違いないので、入社一か月で辞めるのは決めていましたが毎月資格は取得予定があったのでしばしいることに
結果 業務の8か月間が図面の印刷、シュレッダー、文献読みが80%の日々でした。
辛かった! ニュースになったシュレッダー係を思い出されます。
2社目は現場作業員の仕事です
物づくりは好きなので現場を知ってから設計に役立てたいと知人の紹介で入社しました。
予想はしていたが壮絶ブラックで体力が持たずに1年ほどで辞めましたが振り返っても楽しい日々でした。
ザ・職人の世界で間違えれば怒鳴られるというわけではないですが、この時代だから優しくされているのはひしひし感じました。
いろんな工場で段取りして機械の設置や解体、配管接続、溶接で製作、土木工事などなんでも経験できたのは今でも非常に役立っています。
3日間ほぼ徹夜で機械の入れ替えは体力が持たず邪魔になって返されましたが、
この経験のおかげでどんな仕事も怖くなくなりました。
3社目の前に大学時代に行けなかった関西から九州を走るためにバイク旅へ
すぐに転職するのも勿体ないので大学のころ行けなかった。九州へ
愛知県を出発して、下道のみで二日で福岡上陸、鹿児島で家族と合流するので時間調整して
屋久島へ大雨の中、宮之浦岳~屋久杉~白谷雲水峡を縦走
時間が余ったのでなぜか快晴の屋久島旅、昨日の雨はどこにいった?山と海岸線の天気が違いすぎます。
鹿児島から一人で北海道まで帰るために旅の再開
しかし、関東あたりから頭痛が止まらず休み休み進んでいましたが限界でフェリーで苫小牧へ
本当なら東北も北海道も走る予定が断念
地元に戻っても頭痛が止まらず、ひたすらだるくてニート状態に
頑張り過ぎたのだろうと思い、だらだら過ごしていました。
ほっといてくれた両親には感謝しております。
一か月何もしないと飽きるもので、逆に引きこもりの人はすごいなと思いました。
日帰りで東京を往復して面接してすぐに就職先が決まり
3社目は機械設計者の派遣会社
いろんな会社に行けるので飽きっぽい人には向いてると思ったのですが長くは続きませんでした。
やっと設計ができるので楽しくてやりがいがあるのですが、所詮派遣なので自ら何かを作ることはできず、仕事の流れを理解する程度でした。
一番の不満は設計ミスの処理が勝手になされており、3か月後に直しておいたよ、と言われたときはやる気がなくなりました。
責任もって仕事はしていますが結局、責任を持つことができない仕事は耐えられず
すぐに転職活動
派遣先によるのでしょうが、自分で決めていきたいタイプの人間には厳しいです
それと派遣会社と派遣者の給与関係がすさまじくて、すごい商売だと思いました。
ここまで3年で3回転職しましたが、簡単に就職先は決まりました。
重要なのでは一貫性。なぜ転職したかの理由が明確であれば20代の転職は難しくないです。
設計会社→現場作業員→派遣設計→設計
最後の会社員 たぶん?
起業する結論に至る経験をさせて頂いた会社への入社
ようやく2年以上同じ会社で働く経験ができ、新鮮でした。
居心地が良い場所を初めて感じた職場です。
長期間務めていると挑戦することが難しくなるので環境を変えるのとは別で
初めから居心地がよい、似たような人が集まっている場所はあるのだと
一社員でありながら設計者が営業から現場施工、説明まで全て責任持って、裁量権を持たせてくれる最高の場所でした。
辞める直前は研究開発に居たので、新しいこと、答えがないことを考えて作っていくことは楽しかったです。
それでも会社を辞めた理由はやりたいことをするため
なぜ起業したか?
単純に世界中を飛んで回りたいからこれにつきます。
世界大会で優勝するは、パラグライダーを極めたいという気持ちからの後付けです。
うまい人と同じ環境で飛び方や考え方を学ぶのに一番早いので目標にしてます。
ただ、パラグライダーは道具が8割で強い海外選手に勝つには日本の小さい環境で飛んでいては話にならないので、まず時間とお金を確保して一か月単位で海外遠征することが重要です。
となると会社員では休めないし、収入も足りないので不可能
現状で最大現飛んでますが、平日は出張も多くて家に帰らないことも多い、土日はパラグライダーで泊まりと完全に家族は放置状態
このままでは家庭崩壊。妻に頼りきりの状態でした。
それに時間や体力も限界でこれしかないと起業しました。
起業してから